中学生時代にバスケットボールを始め、大阪選抜に入るレベルになると、大阪薫英女学院にバスケットボールの特待生として進学。笑顔も消えるほど厳しい日々を過ごしました。何度も辞めたいと思いましたが、特待生としてきているので、半端な理由では絶対にやめられない。そこで、思いついたのが「ものづくりが好き」で、その道に進みたいという強引な理由でした。
京都市立芸術大学に行っていた兄の影響を受けて、そのときの私は大阪芸術大学を目指ました。これで、バスケットボールの重圧から抜けられると。実際、絵を描くことは子どものころから好きでしたので、芸術はスポーツと違って失敗しても怒られない。そんな芸術の世界を学ぶことは、とにかく楽しかった。
大阪芸術大学ではプロダクトデザインコースに入り、生活にかかわる商品デザイン等を学びました。そこで後の夫になる、当社代表の平下に出会うことになります。これが一つ目の転機でした。
そして、大学の卒業制作ではデニムでウェディングドレスをつくりました。これが二つ目の転機となります。当時はリユースの時代でした。カジュアルなジーンズのデニム生地をリユースして、人生の大切な瞬間を彩るウェディングドレスに価値を転換する。この発想は、学科賞を受賞することになります。
この卒業制作を機に、コシノジュンコ先生にお会いするチャンスを得ました。
コシノジュンコ先生から、「あなたは、縫う、デザイン、売る、マーケティングのどれがしたいの?」と言われて悩みました。私は、本当は、何がしたいのか。そんな私を見透かすように、先生からニューヨークかイギリスに行くことを勧められました。そのとき、代表の平下もニューヨークに行く話があり、一緒に行くことに。
NYで2年間。英語も話せるようになり、服飾系の会社でインターンをしていたところ、代表の平下が地元江津に帰って「デザイン会社を起こそう」と私を誘ってくれました。大阪生まれの私がめぐりめぐって江津の地にたどり着いたのは、芸術というものづくりと、sukimonoの代表となる平下と、江津という町との出会いが結びつけた不思議な縁でした。
つくり手が共にいる、お客様と共感しあえる
都会にはない、しあわせとやりがいを見つけた
帰国して江津という縁ある町にたどり着いて、代表と結婚。さっそくデザイン会社を立ち上げました。
江津を選ぶとき、都会の方がいいと思う気持ちは、もちろんありました。その頃、島根には友達はいませんでしたし、服の情報が気軽に手に入らないし、そもそも手に取ることができないのですから。
でも、今では江津でよかったと思います。会社にはスタッフがいて、みんなでごはんを食べられる。こんな幸せなことはないと思います。お客様も都会だと今のような関係で仕事はできません。人と人のかかわり合いの中で、信頼や共感の中で、仕事が生まれるのが楽しい。
仕事で感じるやりがいは、私たちの仕事を、お客様が喜んでくださったときですね。都会では今日のお客様があした再び来店してくれるか。それより、こっちのおばちゃんが買って喜んでもらえるほうが、どれだけうれしいか。
私たちの作品を大事にしてくれて、「ステキなものを作ってくれてありがとう。飾ったけどいいでしょー」と自慢げにお客様が見せてくれるとき。お客様とつくり手が、互いに顔が見えるということは、とてもやりがいを感じます。
みんなが互いにファミリーであること
それが、よいものづくりの力になる
今後の抱負や目標ですが、基本的にはファブリック部門で品質をもっと上げていくこと。そして、私たちの作品をもっと多くの人に見てもらうためのギャラリーショップを、ゲストハウスであるアサリハウスに近々展開していく予定です。そこでは、WEBではその質感など紹介しきれない高付加価値商品の魅力を、実際に見て触って感じていただけるようにしたいですね。
代表は、「ファミリーであることが、よいものづくりに直結する」という考えを持っています。私はもちろん、スタッフも、そしてお客様にとっても、とても大切なことだと思います。今後も、このことを実践していきたいと思っています。
ものづくりを愛せる人、お客様の笑顔をつくりだせる人、お待ちしています。
※2017年3月時点の情報です