株式会社ツチヨシ産業 江津工場(営業部門)

ここにたどり着くまで、いろいろな仕事を経験しました。

後地生まれの、後地育ち。浜田水産高校を出て船乗りになったのが人生最初の仕事でした。世界中を回る仕事でしたが、船酔いがどうにも治らず、4年であえなく退社。船の中で珈琲の素晴らしさにはまり、陸に上がってからは喫茶店経営をめざし名古屋で修業、そして調理師免許もとり、島根に帰郷してから浜田市で念願の喫茶店を開店しました。
しかし、美味しいコーヒーに自信があっても、駐車場の不備等もあり残念ながら閉店に。
気分一新、仕事を探して家から近いツチヨシ産業(当時社名は広島ツチヨシ)に入社。
これまで経験したことのない未知の世界でしたが、喫茶業の経験もあって接客には抵抗がなく、入社後は営業を担当させて頂きました。

担当した仕事は、主にゴルフ場(グリーンの目砂&バンカー砂等販売)への営業活動及び浅利硅砂の調査、確保、購入、開発。浅利硅砂の所有者である地権者の方々との契約交渉役でした。
当時、私が担当するゴルフ場の営業エリアは広島県をメインに中国5県にまで広がっていました。
今でもその当時、色々お世話になったグリーンキーパーの方々の顔が思い起こされます。
又、地権者との硅砂の売買契約交渉に関しては当時の社長から地元の人間ということもあり任されたようです。
ゴルフ場への営業活動又地権者の方々との契約交渉にしても喫茶の仕事に従事していたお陰で人を見る目は培われたと今でも自負しています。

人を裏切らない誠実さ一筋に生きて

浅利珪砂の開発業務はハードルの高い業務なので、地権者とトラブルなく交渉を進められたときは、やりがいを感じました。自分の両親が真面目に生きてきた人間で、「森田の子なら安心だ」といわれて契約できたこともあり、この年になって親の誠実さに感謝しているし、今後も誠実でありたいと思っています。そうした意味でも、狭い地域ですから、仕事以外の時間もこの会社に勤めていることを意識して、行動しています。例えば、土を洗浄して必要な砂をとった後に、不要な土を自然に返すまでが仕事なので、地主さんに誠意をもって接していました。そういった部分が、自慢というものでしょうか。当時、社長にも言われましたが、公私共に会社の名前を背負っている。個人は逃げられるが、会社は逃げられない。だからこそ誠実でありたい。若い人はどう思うかわからないけど、私はいまもそう思っています。

私は、大風呂敷は絶対に広げません。そこでどれだけ砂が取れるかの試算が最も大事なので、事前調査を積み重ね、これくらいとれるだろうという推測を確かなものにして、地権者の方に納得いただける金額を提示して契約する。まずは、地権者の方に満足していただいて、そして、思っていた以上に砂が出たときにはその分会社の利益はあがるので、会社に貢献できたことに自分も満足できますから。

交渉事ですから、人間模様でつらいときもありますが、そんなときは、「忍」の一文字です。
ですから、この仕事に向いている人は、誠実さを大事にできる人ですね。

株式会社ツチヨシ産業

成功例より失敗例に学ぶ。人生に期限なし

今後は、後任者に私の業務に関する過去の失敗例を教え、後任者のスキルアップの一助になれればと思っています。成功例よりも失敗こそ学ぶことがあると思うからです。そのことで、物事の本質を見極める力、判断力の向上を希望します。

いまは地元で暮らせること、誠実に人生を歩めたことに対して、会社には本当にありがたく思っています。現在は定年退社した後も再雇用していただき、期限なしの扱いで働かせていただいています。
※2017年3月時点の情報です

株式会社ツチヨシ産業 江津工場(乾燥部門)

2017年4月5日

株式会社ツチヨシ産業 江津工場

2017年4月4日