自分の能力を生かす働き方を自分で選べるという、これからの新しい働き方についてです。2045年のシンギュラリティに向け、また、少子高齢化が進む日本では、誰でもできるコモディティな仕事は人工知能にまかせ、自分を生かす仕事やその仕方が求められています。
今、江津を支える人材の中には、お金のため、生活のためだけの労働だけでなく、ユニークな働き方、考え方を持つ方々がいます。楽しく働こう!自分らしく働こう!ふるさとの魅力を活生かして働こう!特集では、石見地方の伝統芸能でもある「石見神楽」と「仕事」と両立させながら、人生を楽しむ実践者を訪ねました。あなたの暮らしを豊かにするライフスタイルとその流儀に、学べることがありそうです。
3歳で目覚めた神楽の申し子
アスリートやアーティストの多くが、3歳あたりからその世界に入っていくように、大畑さんも3 歳から神楽の世界に足を踏み入れたという。小さな時から、ラジカセを手に舞いながら、近所を練り歩いていたとか。近所であった家の棟上げに、勝手に出向いて神楽を舞ったことも。
中学生の時は剣道をやっていて、県外の高校からも誘われるほどの実力者だったが、地元に残って神楽をやりたいとの思いが強く、江の川高校(現・石見智翠館高校)に進学。高校卒業後は地元就職と決めていた。今井産業に就職後も神楽を続けているのは、神楽で一番になりたいから。当然、自分の所属している「谷住郷神楽社中」を地域で一番にしたいと語る。現在は、社中の副代表として、社中のメンバーのまとめ役を務めている。
年間30公演以上をこなす
大畑さんの仕事は、主に重機を使っての舗装。朝7 時には現場入りし、夕方5 時ごろに終了する。神楽の練習があるときは、家に帰らず、まず神楽の衣装屋や面屋に寄って世間話をするのが日課。そのあと夜7 時30 分に練習場に移動。子供神楽の練習に立ち会い、アドバイスや所作などを教える。
子ども神楽の練習が終わる9 時から10時までが大畑さん自身の練習の時間となる。また、年間30 公演以上あるので、公演自体も練習になっている。普段の練習は週に1 回、夏から秋にかけてのシーズンになると週3 回ぐらい。神楽を舞う楽しみは、観客の反応と直に触れ合えること。近くの体育館で毎年開催される春の「夜桜祭り」では、地元の方が神楽を見て声援を送ってくれたり、食べたり飲んだりして、楽しんでいる様子を見るのが一番好きだという。
「朝まで神楽をやって、そのまま仕事に入るときもありました。東京公演やトルコ公演で、神楽を理由に長期の休みを取る時もあるけれど、会社から何か言われたことはない」。逆に、社長からは「今度、○○で舞ってくれ」と頼まれるなど、前向きに受け入れてもらっていることを実感している。
仕事と神楽を両立させたヒーロー
大畑さんが働いている今井産業の浜田支店には社員が約25人いるが、そのうち7 人が神楽をやっている。直属の上司も神楽をやっているので、仕事と神楽をうまく両立できるよう、お互いに協力しながらフォローし合えている好環境がある。
今では、神楽が好きで地元就職を考える若者たちの間で、大畑さんはヒーローである。新入社員から「大畑さんがいるじゃないですか」と言われ、「大畑さんがいる会社なら、仕事をしながら神楽もしっかりできる」という噂が流れるほど、「仕事と神楽の両立」という道を作った人として、多くの人から慕われている。
「自分が神楽を演じ、みなさんが楽しめる場を作れることがうれしい。社長も神楽を「やれやれ」と言ってくれているし、社長には感謝している」という大畑さんは、仕事にしっかり打ち込みながら、同じエネルギーを神楽にも振り分けている。仕事と趣味という、二つのエネルギーをバランス良く組み合わせた、ハイブリッドな新しいライフスタイルを確立している。
神楽なんとかなるだろう
横田哲平さんには4 歳上の兄がいる。小学校4 年生のとき、兄が舞う神楽の練習風景を見て、「いいなぁ」と見とれたのが、神楽を始めるきっかけだったという。舞い続けて、今年で20 年になる。高校生時代には部活でも神楽をやり続けていたというから、神楽にどっぷりの人生だ。
それでも人生の転機として、高校を卒業したら就職しなければならない。就職をして神楽を続けられるだろうか。でも、「神楽があるしなぁ」と神楽をやめる気はなかった。会社として「神楽ができる」と推奨しているわけでもないのに、彼は「地元だから何とかなるだろう」と、よく確認するわけでもなく就職するのだった。入社後にわかったことだが、なんと神楽をやっている社員が、ほかにも4人ほどいたことが判明。
人生、行動すれば、結果は「なんとかなるだろう」が、「なんとかなる」のである。
仕事より神楽は楽しい。達成感は神楽より仕事。
趣味を優先して、仕事を軽んずることはできない。しっかり集中して、神楽の日程が決まっていれば、それまでに仕事を終わらせるように心掛けている。神楽が仕事に影響するようなことがないよう、頭を切り替えている。神楽で徹夜明けになることがあって、そのまま仕事に出ることもあるが、「眠いけれど、まだ20代なのでなんとかいけるかな」と『なんとかなるだろう』流儀で笑う。神楽としての目標はと問うと、「広島の神楽グランプリで優勝したいですねぇ」と目を細める。
練習は夕方6 時からぼちぼちメンバーが集まってきて9 時ごろまで行う。社中独自の演目『丸原城』もある。舞の振りは、みんなで考え、作るのに1年半くらいかかるという。コツコツとつくりあげてゆく作業は、「仕事の商品開発より楽しいです」と笑う。仕事では、自分一人で考えないといけないが、神楽はみんなで考えるので楽しいのだ。
一方、一人でやりあげる達成感という意味では、新商品の開発の方が大きいらしい。その理由をたずねると、「新商品の開発というのは本当に大変で、行き詰まることもありますが、新商品が売れた時は嬉しいので、それが続けている理由になっています」。また、いずれは「神楽をテーマにした新商品を考えてみたい」と語る。
彼にとって神楽は、すでに日常なのである。
神楽はいつでもこのまちに残っている。
意外なことに人前で舞うことについて、「どちらかというと、内気なのですが、楽しいです」と語る。小学4 年生で心動かされたのは、神楽そのものが純粋に楽しいという発見だったようだ。それが彼の、神楽を続けている理由。
仕事に対しては、「神楽で食べていけるなら神楽を選ぶでしょうが、仕事があっての神楽なので、仕事がやはり大切ですね」と言う。また、「仕事でうまくいかないことがあっても、神楽をすることがストレスの発散にもなっていますから、神楽と仕事のバランスがちょうどいいですね」とも。仕事と神楽の両立は、相乗効果をもたらしているようだ。会社も好意的に受け入れてくれ、感謝しているという。「もし神楽をしながら、勤められる会社ない?と言われたら、うちを紹介したいですね」と、感謝を込めて会社とのいい関係を語る。
もし神楽やりたいけれど、仕事のために神楽から離れて、県外に出ざるを得ないと思っている人には、「神楽はいつでもこの町に残っている」と伝えたい。だから、いつでも帰ってやればいいと。その帰る場所を守るのが、今の僕らの役割だから。
横田哲平さんにとって神楽は、趣味を超えて、もはや使命となっているのだ。
神楽熱に火がついて、広島から江津に帰る
神楽を始めたのは小学校の3年生の頃、地元の社中に入って練習を始めた。父親や兄もやっていて、かっこいいなぁと思っていて、「男の子は神楽をするものだと思っていましたね」と語る。神楽が当たり前の世界で、酒井守さんは神楽人生を歩み出した。
今、社中の人数は20名弱。下は小学生から、上は80代の高齢の方まで社中に在籍している。彼は、今年から代表として気合を入れている。
そんな彼も、一度はふるさと江津を離れた時期があった。20年近くの広島生活。そのため、当初4~5年間は神楽から離れた生活をしていた。そんな彼が再び神楽を始めたきっかけは、兄の結婚式でたまたま江津に帰ってきたときのことだった。結婚式の前日に神楽を観に行って、久しぶりの神楽に触れた瞬間、内に秘めていた神楽熱に火がついたと言う。
「これを機に、広島から神楽をやりに、たびたび江津に帰って来るようになりました。社中には昔からのメンバーがいるので、繋がっていたいという思いも強かったですね」。
へその緒のようにつながっていた、江津と神楽への思いが一つになった瞬間だった。
強行軍でも仲間がいるから頑張れる
広島にいた頃は、仕事が終わってから帰郷し、練習を終えて実家で寝て、翌朝早く広島に帰ったと言う。「平日に舞うこともあったのですが、会社の社長や専務が、幸いにも地元出身(江津市桜江町)だったので、神楽について理解していただけたのが嬉しかった」。「おかげさまで、何年に数回程度、外(※1)で舞うこともあって、その時は平日にもかかわらずお休みをもらったこともありました」。※1市外・県外
なかなかの強行軍ではあったが、そこに神楽がある。そして、仲間がいたからできたのだ。
こちらに帰るきっかけになったもう一つの理由は、「そろそろ親の面倒を見なきゃいけないなあ」という思いもあった。
ある思いを持てば、誰にでもチャンスはやってくる。ちょうど江津に新工場を建設するタイミングとも重なって、彼は江津に戻ることになったのだ。
現在は神楽のシーズンに入ると、仕事が終わってから夕食を食べ、夜8時ごろ練習に合流。深夜まで汗を流す。また、仕事が忙しい時はもちろん仕事を優先しなければならないので、練習を休む場合もあるが、遅くなってもできるだけ顔は出すようにしている。「私が練習場に着いた時、もう終わったよって時もありましたけど」と苦笑いも。
練習を終えた夜、仲間と酒なども交わしながら話をしていると、日が変わることもあるという。流した汗の分だけ、気持ちは充実していく。
神楽の魅力で、地元に戻ろうと思ってもらえたら
今振り返ってみると、高校を卒業して広島に出るとき、神楽と離れることには、不思議と未練などはなかった。県外に出てみたかったという思いの方が強かったのだという。それが今では、「お客さんや先輩に『よー舞った』と褒められると嬉しいし、楽しいですね」と笑顔をみせる。
「今後も体が動く間は続けて行きたいと思いますが、動かなくなっても、地元にいる限りはなんらかの形で神楽に関わり続けたいですね」。
盆や正月など帰省客の多い時期に神楽を舞う機会があれば、彼のように「地元に帰ろうかなぁ」という思いに気づく人が出てくるかもしれない。そんな神楽と人とのかかわりの中で、仕事との共通点があるという。
「神楽も仕事も同じですが、人に教えるというのは難しいなと実感しています。いかにやる気を持ってやらせていくかというところは、難しいですね。その点は、仕事も神楽も同じなので、普段の仕事にも生きていますね」。